2008年を代表する曲として・・・

mixiにはもう少しソフトに書いたのだが、こっちでは(誰も見てないだろうしw)思いっ切り毒を吐くことにする。



今年最も街中でかかった曲が、変なスペルのバンド(グリーン?)の「キセキ」とかいうのらしい。

・・・何だこの曲は。
こういう曲が話題になるたびにいつも思う。
日本、大丈夫か?
こんな曲を喜んで聞いて良いのは中学生・・・何とかまけて高校生までだろう。
それを大人も喜んで聞いてるなんてどんだけ幼稚なんだ。


対象年齢を中高生にするのなら、悪くないと思う。
こういう歌詞が響く年頃もあるだろう。
しかし、これが2008年の日本を代表する曲だと言われると反発したくなる。
陳腐な歌詞、まともにできていないライム、汚い声でダラダラダラダラダラダラダラダラと何のメリハリもないポップソング。
時代の音と言ってしまえばそれまでだが、あまりにもくだらない。


勿論、聞く人間の好悪というのはあるだろうが、少なくとも何か新しいことをしているわけでもなく、かといって何か突出した良さがあるものでもない。
ネットでよく言われる言葉で言えば「ゆとり」そう言いたくなる。


日本は未だにこういうポピュラー音楽に関しては後進国なんだなと感じる。
作り手の側ではなく、受け手側が、だ。
作り手にはとんでもない曲を作っている人が沢山いる。
それこそ、全てを賭けてやってる連中なんてゴマンといる。
感性を研ぎ澄まし、時代の空気を感じながら、己の信念に基づいてイメージを音楽という形にしていく・・・そういうストイックな部分を持ちながら音楽に貪欲に取り組んでいる。


それに対して、聞き手側の愚かさはなんだ?
何もかも仕掛けに踊らされている。
ドラマやCMのタイアップでないとまともに売れさえしない。
また、そういった音楽ばかりで自分から何かを探しにいこうともしない。
そんな音楽ばかり聞いて


「俺って音楽好きなんだ」


・・・氏ねと言いたい。


対象年齢の低いこういう音楽、それは確かに分かりやすい。
しょうもない言葉で書いた詩がもてはやされることが多々あるように、あまり複雑なものや難しいものはウケない時代だ。
三島や太宰といった純文学に親しんでいる学生は明らかに少なくなったことからも分かるだろう。
絶対数ではなく、パーセンテージの話。
それよりも、馬鹿げた携帯小説がウケる。
確かに、そういったものの方が自分に近い感性なため、共感しやすいという面はあるだろう。
共感は何かを好きになるときに大切な要素の一つだ。
でも、自分に近いものばかりだと・・・停滞に繋がる。
本物かどうかを見極める目さえなくなってしまう。
それこそ最悪だ。



個人の趣味まではとやかく言わない。
まさか自分が好き好んで聞いているデス/ブラックメタルが最も優れた音楽だ、なんて言わないし。
そんな個人レベルのことをとやかく言うのは変だし。
そうではなく、2008年を代表する曲として、こんな曲が選出されるのが問題なのだ。
文化レベルの低下・・・それが、こんな小さな話かもしれないけれど、そこに表れてきている。
愚民化政策の功績だろう。
教養も何もない、こんなロクデナシの音楽が街中でかかり続けているこの現状は、何とかしなきゃいけないと思う。



しかし、TVで見かけるのもお笑い芸人や馬鹿タレントばかり・・・もう遅いのかもしれないな(苦笑)